『「丸山眞男」をひっぱたきたい』とその応答、さらに応答への反応について

 この雑誌は直接読んでないので、想像力はベッドールームと路上からさんとそこからのリンクしか情報源はないのだけど、かなり複雑な気分にさせられた。赤木氏は僕とあまり年も変わらず、育ってきた社会情勢や就職時の状況も同じようなものだと思う。僕たちのような世代からすると、「希望は、戦争」まで言わなくても、今の社会に対する悪意の素地のようなものはまんべんなく持っているように思う。僕個人としては、まだそれなりに働けていて、そこそこ収入をもらっているからそこまで強いものじゃあないけど、何かしらは持っている。

 僕は就職前に一度、フリーターとして夢を追う道に進もうと真剣に考えたことがあった。結局は親や兄弟に泣いて頼まれ、ひとまず会社に就職したのでフリー ターではなく会社で働く今の境遇があるわけだが、一つ間違えていれば自分は赤木氏と同じ立場にいたと思う。一つ間違えていればどころではなく、かなりの確 率でそうなっていたはずだ。
 あの頃は、「フリーターになる」ということが、本当にリアルな、結構メジャーな選択肢だった。むしろ、フリーターになることを助長するような雰囲気すらあった。僕らは小さい頃から「人はみんな平等」で「個性を大事にするべき」だと教えられて育ったし、社会に出る前あたりは「サラリーマンになってもしょうがない」とか「フリーターになってでも夢を追うのが個性を大事にするこれからの生き方」みたいな雰囲気が世間にはあふれていた。だから、フリーターになる人は、本当に多かった。優秀な大学を出ていて、頭の切れる人でさえ、そうだった。だけどその後、そういう人たちの話を聞いていると、フリーターは結局フェアな道ではなかったようだ。少なくともサラリーマンになることを選んだ人に比べると著しく不平等な世界だった。数年たつと手のひらを返したようにフリーターはゴミ扱いされ、まっとうな社会人ではないと見なされはじめた。しかも、一度フリーターになってしまうと、景気が回復した今もまともな就職先はない。一方、後輩たちは妙な空気に毒されることもなく、みな正社員として就職していく。
 フリーターになっていなくても、僕たちの世代は、過去の年功序列給与体系の恩恵を受け、僕らがどう頑張っても届かないような給与をもらっている団塊・団塊前世代や、少子化+不況明けゆえに次々待遇が引き上げられていく今の新入社員を見て、やりきれない気持ちになる。

 フリーターになる決断を下そうとしたことは、今考えても間違っていたとは全く思わないけど、フリーターをゴミ扱いするような今の状況はやっぱり何か腑に落ちない。そういう現実とは関係ない世界の人間が気分でフリーターを許容するような空気を作り、風向きが変わると今度は説教をはじめているような、そんな気持ち悪い感じがするのだ。

 『「丸山眞男」をひっぱたきたい』への応答は、客観的に見てしごく常識的で、社会に生きる限りそう振る舞わなければならない、そう振る舞わないと社会の中ではいいことが何もないことは承知している。だけど、それは逆に、社会の中でうまくやっていこうと思う人間にしか意味がないセオリーであり、多かれ少なかれ社会に裏切られたと思っている人間からすると常識なんてくそくらえだろう。それはもう、アラブで自爆テロするような若者に向かって、「人殺しはいけない、自殺してはいけない。命は大事なんだから、生きてなんとかするべきだ。」とアメリカ人が説教するようなもんだろう。まさにおまえが言うな状態。あれ、気づいたら「想像力はベッドルームと路上から」さんのリンク先の人たちと同じような事を言っている…

 結局、この一連のやりとりの中で一番衝撃的だったのは、この赤木氏のような「現実」を、自分の立場を「超えて」理解する人がかなり少ない、ということ。とても知的な、理性的な人ですら、そうなのだということ。この、マスメディアのような紋切り型の無理解が横行しない、こんな素敵なBlogsphereですらそうなのだということ。それに、激しく脱力した…。

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